室町時代末期に作られたもので、直径二十八センチ青銅の懸佛で、中央の蓮華座に阿彌陀如来と左右に観音菩薩とが浮き彫りになっている。裏には、天正十二年輝宗と刻記されている。
建立文永年間 大須賀長光は文治五年長井庄地頭に任ぜられ、長井左衛門尉時廣の家臣にして、当荒楯主となり白山妙理権現を尊崇して、加賀の白山より勧請して当初の鎮守として祭る。現在は明治初年の神佛分離により白山神社となる。
大須賀長光は、加賀の白山権現を勧請した折、記念樹として植樹されたもの 文永元年(一二六四年)に植えられた。
戦後五十年を迎えた平成七年三月、報恩謝徳・成三菩提・世界平和を祈念して建立する。
悩みをかたり心の安らぎを求めて語り合う仏、平成十年十六羅漢石像を安置する。
仁王尊堂宇造営 享保十甲寅年七月八日一七三四
右者昭和二十六年屋根改修の際、波風板に記載により判明する。
右者御尊体台座に明記あります。
當黒仁王尊は古くより日本三体の内の一体と言い伝えられる。
本堂宇は其の昔現在地より東方南よりに三十二間半現在石の鳥居建立地に、白山妙理権現の守護神として東向きに安置されていたものです。神佛分離に際し白山神社と改称され、仁王尊は佛部として長遠寺に奇嘱し其の儘借地でしたが、大正三年鳥居建立の為現在地の東方十間の地に仮移転しました。 昭和二十六年現在地に移転し、屋根の大改修並びに内部の模様替を行い同年十一月二十一日盛大なる落慶入佛大法要を挙行されました。
昭和二十六年十一月
別当長遠寺 中興二十二世 住職 憲明
平成十年六月 仁王尊堂宇屋根(亜鉛鉄板葺)の損傷甚だしくなり、檀信徒のご協力を受け、同伴に葺き替えを行い、同年七月九日大般若落慶法要を厳修す。
別当長遠寺 中興二十三世 住職 隆照
仁王尊の沿革板を碑に改める。
平成十七年十一月
長遠寺 住職 隆照